留学サッカー生活 inリヨン

僕とリヨン第3大学とOlympique Lyonnaisとメタルの話です。

Olympique Lyonnaisと僕

 Bonjour! Ça va? Ça va bien marci!

 

いよいよ知らない第三者が口を挟んできました。誰なんでしょう。フランスに侵されたもう一人の僕とでも言っておきましょうか(きもい)。こんなブログの出だしで早速読む気の失せた人に聞いてほしい曲がこちら。

youtu.be

Lost Society: Terror Hungry

 フィンランドはユヴァスキュラ出身のLost Societyはスラッシュメタルバンドの新星として世界中で注目を集めています。ボーカル/ギターのSamy Elbannaは現在若干20歳。2012年にフィンランド国内のコンテストで優勝して今までにアルバムを2枚世に送り出した彼らはメタルシーンの将来を担うであろう存在です。そんな彼ら、5月に来日してLoud&Metal Attackというフェスで日本のファンにパフォーマンスを披露しました。日本のライブハウスでのライブは初めての彼ら、日本のファンの盛り上がり具合にとても興奮している様子でした。このブログのヘッダー画像はその時のものです。いやぁやばかった、でも目当てはトリの我らがSonata Arcticaだったんだけどね!(体験談)。

 

 

 と、つらつらとメタルについて語りましたが今日の本題はタイトルにある通り、Olympique Lyonnaisです。このチームを見るために僕はリヨンに留学していると言っても過言ではありません。というかその通りです。正直勉強よりもサッカー見に来ました!!!これからリヨンの情報や練習内容、見に行った試合についても時々書いていこうと思うので今日はなんでこのチームが僕の留学の理由にまでなったのかということを書こうと思います。前回の文字通りクソみたいな、というかクソの記事(とは言えアクセス数は通常の数倍を記録しました。ありがとうございます。これからもご贔屓ください)とはうって変わりますがよろしくね☆←きもい

 

 

 

 ...2006年ドイツW杯、前評判の高かった日本はグループステージ初戦、オーストラリアにまさかの逆転負けを喫し、続くクロアチア戦でもかの有名なQBK(僕は柳沢好きです)もありドロー。決勝トーナメント進出には最終戦ブラジル相手に勝利が必要だった...

 ...そのブラジル戦。日本は三都主のアシストから先発に起用された玉田が左足一閃。当時世界最高のGKの一人ジダを破り先制に成功した。しかし日本のリードもつかの間。2002年W杯王者の猛攻を前に日本は防戦一方、前半終了間際、元祖ロナウドに同点弾を浴びる。ハーフタイムを挟み、勝利のためになんとか立て直したい日本だったが、後半始まってすぐにその息の根を止められることとなった。ブラジルMFジュニーニョ・ペルナンブカーノ得意の無回転ミドルが鋭い変化を見せ、川口能活を嘲笑うかのようにゴールネットに突き刺さったのだ。川口は「途中でボールが消えた」「あんなシュートは、今まで体験したことがなかった」と語ったという...

www.youtube.com

 回想ここまで。そう、この彼が、Juninho Pernambucanoこそが僕をOlympique Lyonnaisファンにしました。

 

 

 僕は小学生からサッカーを始めましたが、僕のチームはクソザコでした。僕以上にサッカーに情熱を注ぐ友人もいませんでした。僕はいつも一人壁に向かってボールを蹴っていました。小学生の時からぼっちだったのかよwwwと思った人は黙ってください。真面目な話の途中です。

 そこで幼き僕が思ったことは、「もっと上手く、色んな種類のボールを蹴りたい」ということでした。そこで僕はYouTubeで動画を漁り、この稀代のフリーキッカーの名前を知りました。ジュニの蹴る七色のFKが僕を魅了するのにそう時間はかかりませんでした。ジュニが日本戦でゴールを決めた時はめちゃ喜びました。さすがに。僕はジュニのようになるべくFKを練習し、上手くなりました。武器になりました。小中高大通じて所属したチームでは一番FKが上手かった自信があります。あ、中学は違うかも。

 彼は当時Olympique Lyonnais(日本では単純にリヨンと呼ばれます。ちゃんと読めばオランピック・リヨネ)でプレーしていました。当時リーグアン(フランスのサッカーのトップリーグ)はリヨン全盛期。ジュニが加入してからリーグ7連覇を達成しました。ここからです。僕はリヨンのサポーターになり、リヨンへ留学しようと決意したのは。といってもいつかは覚えてませんが。多分小5とかです。

 

 

 好きといっても日本でリーグアンの試合を見る術はインターネットしかありませんでした。小学生のころはただ単に好きというだけで大してどんなチームかは知りませんでした。中学生になると多少は結果もチェックし始めました。親にせがんでリヨンのユニやウェアを買ってもらい、リヨンの勝敗に一喜一憂していました。CL決勝トーナメント一回戦でレアルマドリーと当たって、結果を知らずに登校して、職員室に行って先生に頼んで結果を教えてもらい、勝利としって飛び跳ねて喜んだり、リバプールと当たってアンフィールドでまだ若き(今も若いけど)我らがキャプテン、Maxime Gonalonsが同点ゴールを決め、セサル・デルガドが決勝ゴールを決めて泣きそうになったことは未だに覚えています。

 

 

 高校生になると、僕のネット徘徊能力は格段に向上し、ついにライブでリヨンの試合をみ始めました。このころはもう既にリヨンの黄金期は終わりを迎えていて、結果はあまり伴っていませんでした。でも、実際に試合を見ることで今までの"ただ単純に好き"という状態から"リヨンのサッカーが好き"となった時期でした。

 

 

大学受験は不本意な結果に終わり、国立後期の受験を残すのみとなりました。僕の大学は第一志望と少しレベルが劣るので、僕と同じような状況の人の多くは浪人の道を選び、その後成功を収めましたが、僕は後期を受けることにしました。それはその大学の協定校に、そう、リヨン第3大(Université Jean Moulin Lyon 3)があったから。正直第一志望のときより勉強して、合格しました。大学へ入ってからは、留学のためにサッカーも捨て(理由はいろいろありますが)、そして今、留学をして、リヨンに住み、Olympique Lyonnaisの試合を見るという長年の夢を達成しました。ヒィェーア。

 

 

 想像以上に長くなりました。自分語りが過ぎました。笑

ということで続きはpart2へ。僕がどんなサッカー生活をしているかなど書きます。笑

 

 

 最後に。

昨日、ピザ屋で飯食ってたら(リヨン女子の試合見に行ってました)、隣のおじいさんが話しかけてきた。フランス語で話しかけてきて、??なんだこのジジイめんどくせえな?と思っていたら

ーCan you speak English?

Yeah.

ーJapan was the best team, if they were third place in the group......they made the wave in my mind......they played totally different......everyone was surprised they beat South Africa......I want to go to Japan 4 years later......I wish I could see Japan in semi final.......

的なことを言ってた。ラグビーか!おじいさんラグビー日本代表超絶ageてんじゃん!!こっちの言葉は受け付けないマシンガントークで日本褒められました。うーんすごい。ありがとうMonsieur。