留学サッカー生活 inリヨン

僕とリヨン第3大学とOlympique Lyonnaisとメタルの話です。

〜クリスマスなんて嫌いだ〜 僕の東欧旅行紀後編の話

 ボンソワ。

 年が明けた感覚が全く感じられない今日この頃です。当然新年なんて物理的に「ンンッ今2016年になったの感じたぞっ」といった具合に直接的に感じるものではないわけですけど、やっぱああ〜新しい年だな〜とかお正月だな〜て感じさせるものはあるじゃないですか。おせちとか箱根駅伝とか初詣とか。

 

 フランスにいると、ましてや一人暮らしをしているとそういったことはもう皆無ですね。普通に休日がただ来て、ただ過ぎ去っていくだけな気がします。僕が友達いないからですかね?笑 でも彼女(ギター)との日々は順調に過ごしています。お陰様で。

 

 

 フランスでの年越し、強いて言うならいつもより街中がパーティー感出てました。クラブで流れてそうな音楽が普通に歩いていて聞こえてきたし、クソ酔ったやつがBonne annéeて話しかけてきたり。日本ではみんな大人しく(少なくとも僕の周りでは)過ごしていて、祖父母の家(徒歩1分)から自宅に帰る時の普段よりも車通りの少ない妙な静けさに響く除夜の鐘が印象深いのですが。

 

 あとフランスでは車の放火が年越しの風物詩だそうです。今回は804台、リヨン(郊外含む)では30台余りが燃やされたそうで。放火された人は新年早々死にたくなりますね。こういった怒りのぶつけどころのないハプニングが多々起きるのもフランスですかね。僕は今寮のインターネットが全く動かずに新年早々死にたくなってます(テザリング中)。フランス留学、CROUSに入居しようと考えている方は覚悟しましょう。リヨンだけなんすかねこういうの。んなわけないか。笑

 

 

 

 

 ということで僕の東欧旅行紀、後編です。

サラエヴォボスニア・ヘルツェゴビナ)、ドゥブロヴニククロアチア)、モンテネグロ(通過)、コソヴォ(通過)、スコピエマケドニア)、ギリシャ(通過)、そして再びイスタンブールですね。

 

 

 

 

 12/22

 まずはサラエヴォから。ベオグラードからバスで7時間ほど。午後10時に出発したので到着が朝の5時。サラエヴォ霧やべえし寒いし普通に怖かった。それと紛争の影響でセルビアからのバスはサラエヴォセルビア人の地域(スルプスカ共和国側)のバスターミナルに到着するんですね。バスターミナルって言ってもメインのじゃないからちっこい。ATMすらない。ということでこのバスターミナルに着いてまず初めにすることはATMを求めて放浪することです。寒かった。このバスターミナルから中心部、旧市街へ出るためにはトラムに乗らなければいけないので(13kmある)、現地通貨の獲得は必須です。トラムの駅のすぐ近くにATMはありました。

 

 んでホステルのチェックイン。ここでのホステルはすごい良かった。Hostel Luckyてとこです。こじんまりしたホステルで、スタッフのAlmaさんは観光するためのありとあらゆるtipsを教えてくれます。サラエヴォへ行く機会がある人は是非ここを選んでみてください。5€だし。

 

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Almaに教えてもらったサラエヴォの郷土料理?的なやつ。パイなんだけど、めっちゃうまかった。安いし。サラエヴォも物価安かったな〜〜

 

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バシュチュルシヤ(旧市街のメインストリート)にある水飲み場。工事中だった。

 

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これぞ!!!かのサラエヴォ事件が起こったラテン橋!!!!第一次世界大戦の引き金となったやつです。ただの橋だけど興奮した。まぁ観光客くらいしか意識しないのねもう。左奥のMuseumてのはサラエヴォ事件の博物館なんだけど、客僕しかいなかったし。

 

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博物館の中。犯人グループ。左端がフランツ・フェルディナンド王位継承者夫妻を殺害したプリンチップ。荒川先生が私大対策のためには覚えて方がいいとか言ってた記憶。

 

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なんらかの教会。このすぐ近くにスレブレニツァの虐殺セルビア人がボシュニク人に対して行ったジェノサイド)のミュージアムがあって行った。この旅行を通じてかなり旧ユーゴ圏の紛争について調べたけど中々壮絶だった。これに行く前にはサラエヴォ包囲のミュージアムにも行ったけど、サラエヴォは歴史的な建物以外にもこうした負の記憶とか遺産があるからすごい興味深かった。薄っぺらい言葉になるけど。日本人も夏によく訪れるらしい。特に大阪から多いってスタッフが言ってたから、オラァ横浜から来たんだぜ!って言っといた。笑

 

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オリンピックスタジアム側にあるお墓。

 

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西側にあるホテル、ホリデーイン。紛争当時、世界中のジャーナリストがここに集まって取材を続けていたそう。他のホテルが休業する中、このホテルだけは紛争の最前線に位置するにも関わらず営業を続けていたという話。

 

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そのすぐ側の通りがスナイパー通り。動くものは全て建物に潜んでいるセルビア軍スナイパーの標的となったらしい。今では普通の道。

 

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サラエヴォの地ビール。クソうまかった。安いし。後ろにある吸殻は僕のではありません。

 

 

 

 

 

 12/23

 サラエヴォから6時間ほど、ドゥブロヴニクに到着。ここに行きたかったんだわ、クリスマスに。1日ずれちゃったけど。つかここに行く途中に通ったボスニア・ヘルツェゴビナモスタルもめちゃ綺麗だった。世界遺産

 

 バスターミナルからバスで10分ほど、旧市街に到着。オフシーズンだけどクリスマスてことで中々の賑わい。物価は高い。笑 フランス並みかな。

 

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旧市街の入り口、ピレ門。街はこんな風に城壁で囲まれてる。

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いや綺麗!!こんなのある?あるんだけどね!!!

 

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嫌でもソロトラベラーの僕にクリスマスを感じさせようとするスタンス。💩

 

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趣しかない路地。あーこういう細い路地まさに昔のヨーロッパのそれって感じ。ただ単にイメージ。ここにホステルがありました。

 

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ホステル近くの店で食べたオクトパスバーガー。そうここは新鮮の魚介類が食べれるところ。ただレストランは高いのでこういう感じに。タコ感は全然なかったけどうまかった。ちなみにシュリンプバーガーもあって、そちらは僕の愛するマックのエビフィレオと同類。

 

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世界遺産なんですね。

 

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ここも紛争時にセルビア軍の攻撃の被害を受けていた。ただ今は修復済み。

 

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更に趣のある感じに。この後ホステルで飲んで、日本人3人で(500)日のサマーを見ました。笑 この時期に見ると更にたまらんね。笑

 

 

 

 12/24

クリスマスイヴです。この日のバスは午後発なので、前日行けなかった城壁の散策。なんか綺麗すぎてコメントするのが野暮に感じられるので控えめに(サボりとも言う)。まさにアドリア海の真珠でした。

 

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これがメインストリート。

 

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彼と共に回りました。つまりガチクリボッチは回避。そういやこの旅行の目的はクリボッチ回避でもあったのでそれは達成したかな。ウェーイ(白目)。

 

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この賑わいっぷりよ。金持ちそうな人たちがフォーマルな格好して歩き回ってた。目の保養再び。観光地のクリスマスってこんな感じなんだな。

 

 ということで午後にスコピエへ出発。14時間、モンテネグロコソヴォを通過する長旅、死にそうになった。まじ。

 

 

 

 

 

 12/25

 スコピエ着。別にこの都市に関しては好きで来ただけじゃなくイスタンブールへ戻るための経由地ってだけだったんだけど、その敬意を欠いた考えが何らかの気に触れたのか、単純にバス移動の疲れか、完全に風邪を引きました。つかスコピエ寒いのなんのって。iPhoneの天気アプリ見てよし、今日10度まで上がるんだなってテンション上げたらずっと昼間も-2度とか何だもん。本当に全然動けなくてバスターミナルで10時間も時間潰した。人生で一番非生産的な時間だった。クリスマスに。だからクリスマスなんて嫌いだ。

 

 とはいえ何とか力を振り絞って街の中心部を散策したのでその写真。

 

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こんな風に知らん銅像が立ち並ぶ奇妙な街スコピエ。マジで銅像乱立してた。銅像のフリーマーケットかって(つまらん)。ちなみにマケドニアの首都です。

 

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パリかって。凱旋門かって。いやスコピエです。マザーテレサスコピエ生まれ。初めて知った)のなんかの記念に作られたらしい。

 

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アレクサンダー大王の銅像。この人もスコピエ生まれらしい。なかなかやるじゃん。

この辺りはクリスマスだからか中国顔負けの怪しいミッキーの被り物とかいた。笑

 

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ロンドンかって。いやスコピエです。

 

 

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そして僕はこんなTLを見ながらクリスマスを孤独に風邪をひきつつ過ごしました。クリスマスなんて嫌いだ(2度目)。

 

 こうして再び14時間かけて(ギリシャ通過)翌日(12/26)イスタンブールにバスで戻った僕は、完全に度重なるバス移動で体をやられつつもなんとかフライトも乗り越えリヨンへと帰りました。

 

 なんとか帰りはローヌエクスプレスを使わず安く帰ろうと思ったのですが、なんかどこからバスに乗ればわからず、得意の方向音痴を発揮し結局13.8€払いましたとさ。帰宅するまでが遠足ですよって感じでした。

 

 

 

 という感じで長らく旅行について写真付きでお送りしてきましたが、まず嬉しいのがパスポートにスタンプが増えたことですね。9カ国分。どや。それに英語が磨かれた気がします。わけわからん言葉の国に行ったって言っても英語でコミュニケーションをとるしか無いわけです。ホステルでの会話だって当然英語になるし。一人旅は本当に英語力を向上させる良い手段だと思います。特に東欧は英語しゃべれる人も少なくないし、物価も安いしでオススメします。更に本当にありきたりなことですけど、色々と学びましたね。特にベオグラードサラエヴォ。こんな風に戦争の生々しい爪痕の残る場所に行ったことがなかったので考えることも多かったです。旧ユーゴ圏は特に歴史を知ることで観光もより楽しめるというか、奥深くなると思いました。発展している街、昔ながらの街、遺産と戦争、紛争の負の遺産共存しているというのは本当に数十年前まで戦火の最中にあった都市ならではですね。学が浅い僕は中々そのような都市を訪れて感じたことを文章に起こすことは難しいですが、とにかく、色々と学びましたかね。笑

 

 

 

 

 

 

 

 んで、フランス帰国後もにっくきクリスマスの日に引いた風邪を引きずった僕ですが、ようやく復調しているところです。遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。今年もご贔屓ください。

 

 

 

 

 以上乱文失礼しました〜〜